- 掲載:2024年08月21日 更新:2024年11月07日
//= $nameTitle ?>インテリアデザインはセオリーを学ぶ前に、まず現場を見ることから始めよ
世界の中で独自の展開を遂げる、1960年代以降の日本のインテリアデザインの最前線に立った。THE WALL、伊丹十三邸、内儀屋、5Sニューヨーク、blupondソウル、ほぼ日刊イトイ新聞事務所、PMOオフィスビル、工学院大学ラーニングコモンズ、ショールームSTONESなど、国内外の空間デザインに携わる。
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1949 | 埼玉県生まれ |
---|---|
1973 | 武蔵野美術大学造形学部産業デザイン科工芸工業デザイン専攻卒業 |
1976 | スーパーポテト 入社 |
1985 | 飯島直樹デザイン室設立 |
2004 -2014 |
社団法人日本商環境設計家協会(現・一般社団法人日本商環境デザイン協会(JCD))理事長 |
2008 -2014 |
KU/KAN デザイン機構理事長 |
2011 -2016 |
工学院大学建築学部教授 |
有限会社飯島直樹デザイン室
東京都品川区西五反田7-10-4 ルーシッドスクエア五反田B1F
TED ASSOCIATES ISLAND
03-6431-9108
経済的バックボーンの変遷とデジタル化に揺れた「商業デザイン」の歴史
長谷部 飯島先生は空間デザイナーとして、80年代、90年代から現在までの長きに渡り、ご活躍をされてきましたが、各時代における業界の変遷などをお伺いしたいのですが。
飯島
まず、業界の変遷というのは経済的なバックボーンに大きく影響されます。日本だけでなく世界中変わったのですが、特に80年代は日本の経済が2度と来ないかもしれないほどの良い時代と言われていました。僕はたまたまその時代に、しかも独立したばかりでその時代に仕事に飛び込んだということで、とても面白かった。
それとね、そのころの日本のインテリアデザインというジャンルは特別な場面にあったのです。70年代の後半から始まり、80年代にかけてですが世界における日本のインテリアデザインのポジションが最も先端的なところに位置している時代でした。
自他ともにそれを認めるという風潮が80年代にはありました。ところが、その後90年代に入り日本の景気が停滞するに連れて、業界も急激に閉鎖的になって行きました。まさに劇的な変化でしたね。
その頃一番酷かったのは、屋台居酒屋みたいな安い値段のものが世間にはびこる時代になり、濃密なインテリアデザインの仕事がほぼ無くなるという現象が起こりました。いわゆる今までの高級なレストランや豪華なインテリアなどという風景や感覚が一瞬すっと消えてしまったように思わせたのが90年代の前半でした。90年代はそれでも特別な時代で、日本は不景気になったのですが、それと同時に世界のいろいろな社会の仕組みがガラッと変わった時代でした。20世紀が夢見たコミュニズムが瓦解してソ連が崩壊した一方でデジタル革命がフル回転を始めた。身近なところでは、僕らの仕事もコンピューターで図面を描くようになり、うちの事務所でも90年代中頃から導入し始めました。
僕の場合はコンピューターで図面を描く習慣を欠落したままで来ちゃったので、1992年以降図面描いてないです(笑)。もう一つ90年代の大きな特徴としては、それまで東京に集中していたデザイン領域でしたが、商業インテリアのジャンルでは、どういうわけか大阪のデザイナー達が活躍するようになってきたのです。
ショールーム「STONES」での飯島直樹氏
石材メーカー松下産業の、サンプル展示だけでなく、石の触覚的体感を目指したショールームで東京、大阪、博多、仙台に開設。
2024年5月には西新宿本社内に石のライブラリー「STONES lab」をオープンした。
長谷部 大阪のデザイナーさん達が台頭するようになったのは、何か要因があったのでしょうか。
飯島
多分、タイミング的だと思うのですが、大阪人はしぶとい人たちが多いので(笑)、日本の景気が悪くなり皆がシュンとなっている間にも、「そんなもんやない」のようなノリでいわゆる商人のパワーを発揮したというのはあったかも知れませんね(笑)。
そのままその人たちはね、いろんな仕事をやって行く中で、モダンデザインの傾向としての東京風の小洒落たさっぱり系のデザインの反対を行くということをやっていたのだと思います。つまりシンプルな東京スタイルに対して、雑音がじわじわ聞こえてくるようなデザインの傾向を表に出して、バイタリティがあってポジティブでとても面白かった。
世の中の動きに牽引される先端デザイン。学ぶなら社会の現場を見るべし。
長谷部 今まで先生が手掛けられた中で、苦労したものや、反対に大変楽しかったなど、印象に残っている体験があればお聞かせ下さい。
飯島 仕事をしていると失敗も多くあるのですが、一番記憶にある失敗はですね、1986年のことです。日本のバブル全盛期で、今はなくなっていますけど、当時渋谷パルコの隣にファッションを中心にしたライフスタイルのセレクトショップ「西武百貨店SEED 館」を作ることになり、そこのデザインを担当しました。
最先端という事で、当時アメリカで流行っていたらしい人工アイススケート場の「氷」を床材に採り入れることにしたのです。それは身近なところでよくあるプラスティックの白い「まな板」状のものでしてね、まな板メーカーに90坪分を発注し、床に敷き詰めました。照明が当たると売り場の床が半透明の氷のように見え、大成功と喜んだのも束の間、翌日暖房を入れたら、樹脂が膨張し、床が波打ってしまったのでした。アヴァンギャルドな風景で忘れがたい失敗でした。泣く泣く全部剥がして、Pタイルを貼り直したのですが、施主は僕らの挑戦を買うという事でお咎めは無しでした(笑)。
伊丹十三邸
映画監督伊丹十三邸が「老後にカミさんと住むかもしれない」と考えていた住まいの設計。
長谷部 空間デザインを学ぶ次世代のデザイナー志望の方々へのアドバイスを伺いたいのですが。
飯島 インテリアデザインを学ぶと言っても、オーソドックスなインテリアデザインの学問などというものは無いに等しいのです。インテリアデザインという言葉が使われたのが1960年ぐらいなので歴史も浅く、それ以前は室内装飾とか言われていました。
歴史が浅いので、それを大学というアカデミズムが受け皿として機能できているかというと十分ではない。何がインテリアデザインのセオリーなのか、歴史の蓄積から作られるだろうセオリーが脆弱なんですね。だから何を学ぶといいのかというものが希薄なのです。1970年に大阪万博があったのですが、それに色々な建築家やデザイナー、しかも日本の一番先端的な人たちがそこに参加してある種盛り上げたということがありました。
つまり、世の中の動きがデザインを牽引し、それが一つのジャンルとして認められるようになった。そうすると、それを知って教えたりするという場面も必要になってくるということで、大学にそういう科目(展示演出デザイン)が生まれることになったというのが現実なのです。そういうことなので、アカデミックに習うより現場を見る、社会の現実を見る、デザインの現場を嗅ぎとる、いわば現場主義がデザインの学びには一番早いと思うのです。
素材の良さは、頭で理解するより身体で感じるもの
長谷部 先生が手掛けられたこちらのSTONES のショールームを拝見して、素材としての石材にとても魅力を感じるのですが、それぞれの素材の持つ魅力を最大限に引き出す秘訣などはあるのでしょうか。
飯島 素材というのは手強いですね。二十歳ぐらいで素材のことがもの凄く理解できていて、それを上手くこなせるかというと、これがなかなか難しい……。頭で理解してもわからない世界だと思うのですよ。泳ぎだって最初泳げなくても水に浸かっているうちにやっと少しずつ泳げるようになる。同様に、素材の特質も目で見たものを頭を経由して理解できるのはほんの入り口に過ぎない、素材の奥行きは身体ごと入り込んで感じるしかないということだと思うのです。
特に自然の材料というのは木や石もそうですが、金属もあり、布などそれぞれの奥行きがありますね。例えばこの石の上でお酒のお猪口を置いて飲むのと、上質な木曽ヒノキの上で飲むのとではお酒の味も違ってきますよね。子どもにはわからない世界ですけどね(笑)。日本は多分素材の宝庫と言っていい。見知らぬ素材が埋もれているのです。とりわけ石は地中深くの数千億年が形成した物質の不思議さがありますよね。
大理石系とか御影石系は硬くてキラキラしていて、ザ・石という感じですよね。砂岩とか凝灰岩とか柔らかめの石はザラザラしていて、ザ・石という価値観からいうと、むしろ土に近い。でもその「弱さ」が新たに注目されています。
あと僕は最近、布に興味が湧いています。布の歴史も世界の歴史と言っていいくらいの奥行きと厚みがある。例えば、紀元前の頃からあるインカの布というのは、編む時の密度が非常に密で南米の冬の寒冷期の防寒用に作られたものらしいのですが、防水機能があって、雨に当たっても大丈夫なものです。世界中にその地域地域の文化の象徴ともなった布というのがあり、それぞれが全部違う。日本の布というのも、まだまだ掘り起こせる素材だと思っています。形にならない融通無碍な襞なんて、今更ですがグッときます。木はね、昔のいいヒノキなどが無くなってしまい、今は神社を作ろうといっても台湾ヒノキを輸入するしかない。その台湾ヒノキももう数を減らしつつあるという事で心配ですね。
PMO_01 日本橋本町
PMO はプレミアムミッドサイズオフィスの略称。野村不動産の中規模オフィスビルブランドとして2008年に完成。その後約40 棟のデザイン監修にかかわる。
長谷部 素材について、日本の建材メーカーへのアドバイスはありますか。
飯島 何年か前にシート素材の商品開発のアドバイスをしたことがあるのですが、デザイナーとしてこうした方が良いという表層の極僅かな観点を加えただけでも変わるものですね。使う側の感覚や精度も上がっている上に、LED 照明特有の配光を実証したりと、デジタル技術によってマテリアルの表層はかなりコントロールできるようになりました。
あと古材や古材的に加工しているものもそうした技術の裏付けで進化していますよね。特に近年は鉄や、錫のような金属の微妙な味わい感も注目されています。銅の古びたブロンズ風の仕上げの感じや、鉄の錆びた風情など、昔は悪戦苦闘して作ったりしていました。今は色々な技術で奥行きのある表層ができるようになっています。でも僕は、そうした技術の恩恵は受けつつも、自然の素材は自然にあった原風景に差し戻す時が最も美しいと思います。それを今後どう生かすかが課題のような気がします。
工学院大学 ラーニングコモンズ B-ICHI
学生たちの新しいコミュニティ空間「ラーニングコモンズ」を工学院大学に開設。昔風に言えば学生ホールだが、学部を横断した集まりやイベント、展覧会が企画され、大学の新たなアクティビティを生み出す空間として注目される。
飯島直樹の世界に浸りたい方におすすめ「MELTING FUNCTION」
長谷部 今月、先生の集大成というべき作品集が出版されますが、簡単なご紹介をお願いいたします。
飯島 この作品集は2冊目で、最初は2010年、60歳になったのを記念して出版しました(casuisutica飯島直樹のデザイン1985 ‒2010)。それから14年経って今回、その間の仕事(STONES、工学院大学、オフィスビルPMO)とアーカイブ的な過去の空間デザイン、プロダクトデザインから抜粋した作品を集めたものです。ロングインタビューも含めて飯島直樹のデザイン作法をまとめた作品集なので、ぜひ両方併せてご覧いただけると嬉しいです。
Column
飯島先生著書「 Melting Function(溶ける機能)」
出版記念イベント
本を出版した経緯についての話や、難波和彦氏とのミニトークセッション等が催された。出版記念の会には200 人以上が集まった。
『Melting Function/溶ける機能―飯島直樹のデザイン手法』
飯島直樹氏の14年ぶり2冊目の作品集。2010年から2023年にかけて手掛けたSTONES、工学院大学、オフィスビルPMOなどの近作を豊富な画像で紹介。飯島氏のデザイン観を語るロングインタビューや論評なども収録されている。
[取材]
長谷部 沙織 建材ナビ広報担当
今回は、飯島先生がデザインされた石材メーカー様のショールームにて、インタビューさせていただきました。これまで培われたご経験から、素材の良さを肌感覚で得られる術と、現場の「リアル」を見て学ぶことの大切さを教えていただきました。
[SPECIAL FEATURE] 飯島直樹 特集
JCD(日本商環境デザイン協会) インタビュー&レポート
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飯島 直樹 | Iijima Naoki
1949 | 埼玉県生まれ |
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1973 | 武蔵野美術大学造形学部産業デザイン科工芸工業デザイン専攻卒業 |
1976 | スーパーポテト 入社 |
1985 | 飯島直樹デザイン室設立 |
2004 -2014 |
社団法人日本商環境設計家協会(現・一般社団法人日本商環境デザイン協会(JCD))理事長 |
2008 -2014 |
KU/KAN デザイン機構理事長 |
2011 -2016 |
工学院大学建築学部教授 |
有限会社飯島直樹デザイン室
東京都品川区西五反田7-10-4 ルーシッドスクエア五反田B1F
TED ASSOCIATES ISLAND
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