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  • 掲載:2024年06月05日 更新:2024年12月09日

異業種から転身し、レジャーホテルや「餃子の王将」有楽町店など様々なジャンルでデザインを手掛ける折原美紀氏の重要視する「越境デザイン」とは
株式会社ODO 主宰 折原美紀(建築デザイナー) インタビュー

株式会社ODO 折原美紀
JCD(日本商環境デザイン協会)理事であるデザイナー、折原美紀さんは、レジャーホテルを始め様々な商業施設において、斬新でありながらどこかハートフルな温かさを感じさせる空間デザインを得意とする。また、JCD では「交流委員会」の委員長として主に女性デザイナー、建築家同士のトークイベントやパーティーの開催などの相互交流を図る折原さんに、女性が輝いて活躍できる秘訣を伝授していただこうとお話を伺いました。

Guest

折原 美紀 | Miki Orihara

1993 設計施工、有限会社デザインオークに入社。経理を担当しながらデザイン設計実務を行う
1996 仙台拠点に個人事務所アートフォルム設立
1998 友人2人と共に、株式会社アートフォルムに法人化
2007 東京オフィスを立ち上げ単身責任者として赴任。一から営業活動を行ない、新規顧客開拓を続ける
2011 株式会社アートフォルムを退社し、 oriharamiki design office を設立
2015 株式会社oriharamiki design office に法人化
2023 株式会社ODO(オド)へ社名変更。現在に至る

株式会社ODO
東京都港区港南4-1-10
リバージュ品川704
03-6451-4568


好きだから飛び込めた、異業種からの「華麗なる転身」

株式会社ODO 折原美紀

長谷部 折原先生は現在、建築デザイナーとして様々なジャンルで素晴らしい活躍をされていますが、銀行員からの転職と伺いました。異業種への転職を決められたきっかけや、転職にまつわるエピソードなどをぜひお聞かせください。

折原 そうなんです、異業種中の異業種への転職ですから、それまで図面も描いたことがなく、専門学校にも行っていません。本当に銀行員が嫌で嫌で仕方がなくて……(笑)。

そこで結婚したのを機に銀行を退職、やがて子どもが生まれたのですがその後諸事情で離婚することになりました。その際、子どもを健やかに育てるためにも、今後は絶対に好きな仕事を選ぼうと決心しました。元々絵を描くことなどは好きだったのですが、様々なご縁による巡り合わせを経て、仙台にある設計事務所で経理の仕事をしつつデザインを勉強するという形で、デザイナーへの道をスタートすることになりました。

当時は娘が小さかったので登米市で両親と一緒に住んでおり、仙台まで80キロという道のりを、車で通っていました。朝4時半に起き、家に帰るのは深夜1時頃になるという生活を2年半ほど続けました。その後もいろいろ紆余曲折を経て、仙台から東京に来たのは2007年(前会社の時)、その後2011年に2度目の独立を果たしました。

JCD とは仙台時代からなので30年近いお付き合いです。東北の副支部長となって交流会などを通じてJCD の皆さんとも仲良くさせていただくようになったというわけです。

HOTEL NUQU 111 雨帯(コンセプトカラー:藍色)
©Nacása & Partners Inc. FUTA Moriishi

HOTEL NUQU 111 雨帯(コンセプトカラー:藍色)
雨傘をさしている女性のイメージから着想し、オリジナルでグラフィックを作成し浮世絵風に表現。このグラフィックを空間デザインに取り込む表現方法は折原氏 のテクニックの一つ。多彩な帯柄は天井と壁をつないでおり、ライティングを使用することでラインが強調されている。

レジャー産業でも花開く「ホスピタリティ・マインド」

株式会社ODO 折原美紀

長谷部 好きな仕事だから乗り越えられたのですね。ところで、折原先生はレジャーホテルを始め、バーやキャバクラなどいわゆるレジャー産業と呼ばれる形態の商業施設のデザインを多く手掛けられていますね。

折原 レジャーホテルを手掛けるようになったきっかけは、私が最初に独立した時の会社からのデザイン依頼でした。私はもう全く知識もないし、どういう造りなのかも分からない中で、手探りで何とかやるわけです。
で、そうするとレジャーホテルというのは知れば知るほど不思議な業態であり、普通のホテルが1日1回転なのに、料金体系が休憩料金と合わせて3回転とか4回転するわけですね。するといかに短い時間でお掃除を綺麗に済ませるか、あるいは接客をしないで、どれだけホスピタリティーを感じさせるかなど、スタッフさんにとっても、より機能的な動線が必要になって来ます。

もっと細かい部分をプランニングしていくと、例えばお風呂に入る時に、お客様が美しく入れるように、手前の1段は上げて、またぎが深くならないようにするなど、ハードのデザインの力で、立ち振る舞いを変えることができるのではないかと考えました。喧嘩しているカップルでも、仲直りして、「ここ良かったね。」と帰ることが理想だなと。

また、各部屋が全部デザインが違うというのも、同じホテルに何回も来てくれるきっかけになるなど、リピート率を高める効果が生まれ、もちろんその分売り上げも上がります。それが戦略的に、もし全部の部屋をコンプリートできたら、1泊宿泊がタダですよなど、そういうものの仕掛けもでき、色々なことを工夫していくとさらに売り上げを上げることができますからね。


鈴 京都宮川筋 hitotose 穐 -Aki-( 主寝室)
鴨川沿いの柳の木がテーマの室内。床、壁、天井、全て和紙貼り。壁面には和紙で作ったこよりの柳がしつらわれている。


餃子の「王将」に新たなストーリーが誕生

株式会社ODO 折原美紀

長谷部 デザインだけでなく、そうした経営的な戦略も考慮に入れたプランニングもされているのですね。「王将」さんの場合はどのような経緯で手掛けることになったのでしょうか。

折原 王将の社長(渡辺社長)は売り上げはずっと順調だが、女性客が足りないということに危機感を覚えていらっしゃり、新店舗には女性に対してのアプローチが必要ということで、女性のデザイナーに依頼したいというご意向でした。私は業者さんからのたまたまのご紹介で、社長と出会い結果的にお仕事の依頼をいただきました。

根強い従来からの王将ファンの反感を買わないために、私は新たに創る店舗のターゲットになる顧客層を女性層とリッチ層に的を絞り、それに合わせてロゴを変えるご提案もしたのですが、最初は社長から反対されました。それはそうですよね、ずっと長年守り続けたロゴですから。
でも全て違う店を作る必要性を感じていたので、根気強く提案し続けたのです。最後には新しくデザインしたロゴを使うことに同意していただきました。それが、意外にもオープンの前にSNS で話題となり、テレビ局の取材が押し寄せるまでに話題になったのです。
本当にたくさんの泣き、笑いがありましたね(笑)。

新店舗に関しては、社員教育を含めた運営のプロデュースの全てを引き受けましたので、スタッフには単価アップに対応した接客技術の向上を目指してもらうため、立ち居振る舞いなどを含めた細かい指導まで行いました。

Column
駅のコンコースを想像させるGYOZA OHSHO有楽町国際フォーラム口店

GYOZA OHSHO 有楽町国際フォーラム口店
©Nacása & Partners Inc. FUTA Moriishi

JR 有楽町駅高架下という情緒ある特殊案件。馴染みのある従来からのロゴと新たな顧客層を意識した新ロゴが並ぶ。

GYOZA OHSHO 有楽町国際フォーラム口店
©Nacása & Partners Inc. FUTA Moriishi

R 形状の天井をレトロアイコンで製作した「特注光造作」や「煉瓦」などを多用。「ジャパニーズレトロ」を感じさせる空間となっている。


デザイナーが決める「カテゴリー範疇」と「越境デザイン」

株式会社ODO 折原美紀

長谷部 デザイナーとして折原先生の活動範囲は日本全国に渡ると伺いましたが、アクティブに働く女性は相当タフでなければ務まりませんよね(笑)。

折原 そうですね、例えばレジャーホテルは日本全国、津々浦々にありますから、現場が始まると、秋田、新潟、出雲、長崎、名古屋などの地方へほぼ日帰りで出張に出かけるというハードなスケジュールになってしまいます。
うちの会社には結婚して子どもがいるスタッフが2人いるのですが、やはり働く女性は出産や子育ての間は休みを取らなくてはならない期間があります。それでも仕事を辞めないで続けることが重要で、常に仕事が好きだという気持ちを持ち続けていれば何とかなるはずです。

あとは、子育てをしながら働く女性社員への配慮は会社側がすることだと思いますので、うちの会社は結構コロナがきっかけだったのですが、別にもう毎日出社しなくてもいい、就業時間も自分で選べたりします。 そういう1日1日のタスクではなく、1週間のタスクにしているので、「今週何を、金曜日までに何をします」というのをみんなでシェアしています。今日は子どもの参観日なので半日休みます、などというのは自由にし、無理なく頑張れる土壌を作るというのが会社の役目だと思っていますから。


長谷部 女性にとっては素晴らしい職場環境ですね。

折原 そうですね。私自身子育てとの両立に苦労しました。また、早いうちからこの道を志して勉強をしてきたスキルのある女性が、この業界の労働環境のせいで辞めざるを得ないというような状況を変えていきたいのです。とにかく何としてでも仕事を続けるという強い気持ちと、この仕事が好きですという気持ちを忘れないことだと思うのですね。
その上で、やはり日々勉強し努力して自分が成長し、常にアップデートしているという感覚が自信となり、仕事を続けて行く原動力となるはずです。


長谷部 多くの女性にとって空間デザイナーというクリエイティブな職業は憧れの対象になると思うのですが、折原先生から今後デザイナーを目指す方々へのアドバイスなどがあればお教えください。

折原 やはり、先ほど言いましたように、デザインするに当たり図面では描けない、人の温もりやサービスなどソフトの部分を大切にしたいと思っています。 それは、もしかすると私たちデザイナーの範疇ではなく「越境デザイン」とカテゴリー分けされることかもしれません。
ですが、そういうソフトの部分とデザインのスキルが総合されたものがビジネスの成功に繋がると日頃から感じていますので、この「範疇を決めない越境デザイン」こそが「デザイニング」という大きなカテゴリーの中で、重要なことではないかと考えています。私は、同時にその場、その場に適したデザイン、つまり「地産地消のデザイン」というものを心掛けるようにしています。


長谷部 折原先生から改めて働く女性の「心意気」と「プラスエネルギー」をいただき、私自身も活力が湧いてくるような爽やかな気持になりました。本日は、楽しいお話を本当に有難うございました。

鈴 京都宮川筋 hitotose 穐 -Aki-( リビング)
露天風呂と一体になったリビングスペース。壁面は和紙+左官のテクスチャー。敢えて間接照明は使わず、宮川町の雰囲気と寄り添うように、直接光のペンダントを採用。


[取材]

長谷部 沙織 建材ナビ広報担当
建築・建材メディアサイト「建材ナビ」の事務局リーダー兼広報担当。温かみのあるコミュニケーションをモットーに、メディアサイトの強みを生かし、日々お客様のサポート業務に注力。広報担当として女性建築家やデザイナーなど、ご活躍中の方々にインタビューを行っている。






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折原 美紀 | Miki Orihara

1993 設計施工、有限会社デザインオークに入社。経理を担当しながらデザイン設計実務を行う
1996 仙台拠点に個人事務所アートフォルム設立
1998 友人2人と共に、株式会社アートフォルムに法人化
2007 東京オフィスを立ち上げ単身責任者として赴任。一から営業活動を行ない、新規顧客開拓を続ける
2011 株式会社アートフォルムを退社し、 oriharamiki design office を設立
2015 株式会社oriharamiki design office に法人化
2023 株式会社ODO(オド)へ社名変更。
現在に至る

株式会社ODO
東京都港区港南4-1-10
リバージュ品川704
03-6451-4568

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