- 掲載:2021年12月01日 更新:2024年08月07日
//= $nameTitle ?>建築とその周り ―建築的倫理について―
<経歴> | |
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1991年 |
建築設計やアート作品の制作を行う。 名古屋市生まれ。 横浜国立大学工学部建設学科建築学コース卒業、横浜国立大学大学院建築都市スクールY-GSA修了。 修士号(工学)Master of Engineeringを取得。 |
2017年 | 河部圭佑建築設計事務所を設立 |
2018年より |
名古屋造形大学地域社会圏領域助手/領域マネージャー。 大学では「芸術と建築」をテーマに、歴史的・文化人類学的思想を内包する空間構築の研究と具体的・継続的な都市美運動の実践を行う。 東京の設計事務所アトリエ・ワン勤務時に、「尾道駅」「MUJI BOOKS シエスタハコダテ」などのプロジェクトを担当。 主な作品に、建築作品「八寸勾配の見世」「名古屋みなとのアトリエ住居」「漂流する映画館」、アート作品「くしゃくしゃ構造の『洞窟』」「TOTEM」などがある。 |
その建築がすでに持つ良いところや成立ちを理解した上で、上書きをしていくようにと心がけています。
――リノベーションへの積極的な取り組みや、古い建物をいかす手法はありますか?
リノベーションのプロジェクトは多いです。またリノベーションとひとくちに言っても、大きく変えるものや少しだけ調整するもの、新しい部分を増築するもの、あるいは減築するものなどヴァリエーションがあります。
古い建物がどれほど古いのか、木造なのか、コンクリート造なのか、などもあります。そしてそれぞれに面白みというか、醍醐味があると思います。
今取り組んでいるプロジェクトに築100年ほどの農家住居をリノベーションし、新しい世代が住みなおすというものがあるのですが、現地調査に行って感動しました。
古い母屋では、壁のない柱だけの空間が水平に広がり、庭と連続していて、縁側を通して優しい光とやわらかな風が抜けていきます。
近年の日本の建築や西欧の建築の多くはガチガチに固めることで強いものを目指しますが、この時代の日本の建築は「柔構造」といって、しなやかに地震などの力を受け流します。
全体が鉱物というよりは植物のようにできています。こんなに瑞々しい建築というのは日本に特有のものだと思いました。
リノベーションのプロジェクトの時には、その建築がすでに持っている良いところを見つけて、当時の情景を想像し、成立ちを理解した上で、上書きをしていくようにと心がけています。
また、昨今の環境問題やエネルギー問題は深刻ですので、持続可能な社会の仕組みをつくっていく上でも、建物を改修して長く使っていくことは世界的に重要視されています。
古いものをどんどん壊して、新しいものをばんばん作っていては地球がもたない、という倫理観が広まりつつあります。
建物としては壊す場合にも、資源として有用な建材を保存し転用することや、新しい建材でも環境的に循環可能なものや、やがて土に還っていくものを使うことは大切な視点だと思います。
もちろんケースバイケースですので、どのような時はどのように壊すのか、どうやって新しいものをつくるのか、あるいはリノベーションするのか、など状況に合わせて合理的な判断と提案をしていくことは建築家の重要な職能だと思います。
大きくて長い、循環や調和のなかに自らも属している、と使う人が感じられるような建築がつくられればよいですし、そういうものをつくっていくことは建築家の責任でもあると感じます。
建築ではない色々なことが、設計する時の力のみなもとになってくれます
――設計力を磨くために努力していることはありますか?
最近は、色々な時代の色々な場所の建築物に、アクセスしやすくなっています。実際に訪れたり、写真や図面を見たり、研究された論文や書籍を読んだりすることで、先人たちの知恵と言いますか、とりわけ感銘を受けたものからは影響を受け続けていると思います。
それから、あまり自分からかけ離れた存在でなくても、先輩や友だちみたいにしている建築家からも大きな学びがありますし、勇気づけられることも多いです。
建築ではない色々なことが、設計する時の力のみなもとになってくれる感じもあります。小説や詩集には多くの美しい情景が描かれています。絵画には驚くべき色彩や形があります。音楽の規律と調和に憧れます。これまでのプロジェクトをきっかけに知り合った、現代美術家や音楽家、映画監督、デザイナーなど、何かを作ったり表現したり企てている人たちの話を聞くのは面白いです。その都度影響を受けているのだと思います。もちろん彼らの作品からも。
私個人の設計力といったスキルを磨いていくというよりも、例えば上述したような影響や、脈々と続いている歴史の中で、その時その場所にふさわしいものがつくれたら嬉しいです。
また、現在私は、名古屋造形大学の地域社会圏領域という建築分野の教員をしていますが、設計活動をしながらも教育や研究の場にいられることは良いなと感じています。
他の建築家の教員や学生と議論をすることには貴重な学びがあります。大学というのは伸びやかで良いなと思います。
実務的な仕事のなかでは、今すぐに役に立つことを求められることが多いですが、大学での思考というのは、もう少し広やかで長期的です。
今すぐに役に立たなくても数十年後に意味を持つことや、こどもや孫の世代になってようやく理解されることなど、そういうことを考えられる場所だと思います。理念や思想をもって建築をつくることが大切で、私にとっては、大学と設計事務所を行ったり来たりすることはその意味で有意義に感じています。
内包的な表現主義ではなく、外延的な象徴主義を目指した建築
――最近ではどのような仕事がありましたか?
愛知県の大府市にレストランを設計しました。
プロジェクトがはじまって町の調査をしましたが、大府市は「健康都市」を地域づくりのテーマに掲げていて、福祉・健康・医療・スポーツ・子育てに関するさまざまな政策に取り組んでいることがわかりました。敷地は、健康スポーツ科学や栄養科学、子どもの健康や教育に関する学科を設置する至学館大学のほど近くです。
至学館大学に所属する管理栄養士の方が施主で、彼の「食育」に関する研究の実践の場としてのレストランを作りました。町に向かって降りてくる屋根に、お店のコンセプトを示すイラストを設けました。勾配の大きな屋根なので、離れた場所から見ると、壁のように見えます。建物に近づいていくとだんだん屋根は見えなくなり、今度はガラス越しに店内が見えてきます。
外観の大きなイラストを含んだ建築全体が、お店のコンセプトを示すと同時に、町のあり方や、近隣の地域性、オーナーの考えを表象しているかのような存在になっていきました。お店自体は戸建住宅と同じくらいのサイズでそれほど大きくはないのですが、象徴するものはより大きくて、建築の可能性といいますか、面白さを感じました。
設計中、頭に浮かんでいたのは、ロバート・ヴェンチューリというアメリカの建築家が著した「ラスベガス」(鹿島出版会/SD選書143ラスベガス/ロバート・ヴェンチューリ他=著/石井和紘、伊藤公文=共訳/1978年)という本のことです。
そこには「あひる」(duck)と「装飾された小屋」(decorated shed)という言葉があるのですが、「あひる」とは「それ自体が象徴である特別な建物」のことで、「装飾された小屋」とは「象徴で装飾された普通の建物」のことです。ヴェンチューリは「その両方とも正当である」と述べてから、両者のイメージを比較していきます。内包的な表現主義ではなく、外延的な象徴主義の建築を目指そうと思いました。
閉鎖的で個人主義的な住宅ではなく、近隣の人たちとゆるく繋がりながら暮らすことができる住環境をつくることが大切
――これからの住宅や建築はこうなるべきであるというお考えがありましたら教えてください。
住宅をつくる時には、近くにいる人たちと助け合いながら暮らしていける住環境をつくることが大切だと思います。
例えば、住宅に窓をひとつ開ける時に、その窓のあり方次第で、地域との関係性が変わってきます。住む人がその地域社会から孤立してしまうような住宅を作ることは、その住宅の住み手にとっても、地域にとっても不幸なことです。閉鎖的で個人主義的な住宅ではなく、近隣の人たちとゆるく繋がりながら暮らすことができた方が良いのではないでしょうか。町に暮らすような感覚でしょうか。その方が快適で健やかな日常生活を送ることができると思います。
また、環境問題は重要だと思います。住宅ひとつを作るのにも多くの資源やエネルギーを使いますから、どのような材料をどのように組み立てて建築を作るのか、倫理的に考えていく必要があります。建築家に限らずあらゆる専門家は、倫理的な態度を取ることがとりわけ今の時代では求められます。簡単なことではありませんが。長期的なことについて、想像力を持って考えていきたいです。